「意味が通じさえすれば良い」のかな?
新しい言語を習得しようとする際、文法や語彙が大切だということは周知の事実だと思います。
では発音についてはどうでしょう?
よくある考え方の一つに、
「意味が通じればいい。要するにコミュニケーションができれば発音が正しいかどうかは大した問題ではない。」
というものがあります。果たして本当にそうなのでしょうか?
ちょっと文法や語彙に置き換えて考えてみましょう。
例えば、
日本語学習者が、
「お腹がすいたになっただからパンを食べます。」
とか、フランス語学習者が、
”J’ai faim. Je manger avec il.”
などと言った場合、
意味が通じ、コミュニケーションができていたとしても、教師やネイティブには、直す人の方が多いと思います。そして学習者の方も、なるべく直してもらいたいのではないでしょうか。
では、(上記のような) 文法や使用する語彙がおかしい文でも、意味が通じ、コミュニケーションができている。ではこのまま放っておいて (正しく) 直さなくてもいい、と思うことができないのはなぜなのでしょうか?
ザッと考えられる理由を挙げてみましょう。
意味は分かっても相手は、
・分かるために集中して聴かなくてはいけないので疲れる
・間違いが気になり、意味に意識がいかない
・なぜか言っていることの内容さえ信用できない気がしてしまう
間違いをそのままにしておくと、
・それがベースとなってしまうため、レベルアップが難しくなってしまう
・間違ったまま覚えてしまい、後から正しく直すのが難しくなる (専門用語でこの現象を「化石化」といいます)
これらの理由は、発音に関してもまるっきり同じことが言えるのです。
発音が「変」だと、意味に集中してもらえなかったり、話していても疲れると思われたり、いつまでもフランス語(学習言語) が下手だと思われたりしてしまう傾向があるのです。
化石化に関しても文法と同じことが言えます。一度悪いクセがついてしまうと、それを長く放っておけば放っておくほど、直すのが難しくなってしまいます。
要するに発音の正しさも、文法の正しさや語彙の豊富さと同じように、
コミュニケーションの質、
そして
学習言語の順調なレベルアップ
に関わるものだと言うことができます。
では、正確な発音を身につけるにはどうしたらいいの?
大人になってからの外国語習得において、発音は独学が難しい分野です。
すでに多くの言語を習得している学習者など、例外もあるとは思いますが、基本的に人間の耳は、母語(と習得済みの他の言語)に存在する音しか正確に聞き分けることができないと考えられているからです。
自分の知っている音だけ通すフィルターのようなものが耳にあると想像してください。
例えば、フランス語には、閉じた「え」と開いた「え」([e]と[ɛ]) と二つの、日本語の「え」の音に似た音が存在しますが、日本語が母語の学習者にはその二つの音の違いが聞き分けられず、一般には両音とも日本語の「え」の音に聞こえます。
正確な発音習得の最初のステップは、習得目標の音を認識し、聞き取ることなのです。
聞き分けられない音はもちろん発音し分けることもできません。
目標の音の正しい発音モデルを示して (発音して) くれ、同時に学習者の間違いを聴き分け、正しい音まで導いてくれる教師の存在が必要になります。
教えるのがネイティブであれば (ネイティブであるだけで) いいのかというと、そういうわけではありません。外国語を習得しようと思ったことのある方なら一度は経験があるのではないかと思いますが、自分が間違って発音してしまった音を、何度正しい発音を繰り返し真似しろと言われても、何が違うの分からなかったり、できてたと思ったのにまだ違う、と言われる時ってありますよね…
正しい発音を習得するには、
① 目標となる正しい発音がどういうものなのか理解し、聞き分けることができるようになる
② 自分の今の発音のどこが違っていて、どのように直していけばいいのか理解する。または教師が段階を踏んで様々な矯正方法で正しい音に導いてくれる
③ 正しい発音ができるようにそして定着するようにトレーニングする
というステップを踏んでいくことになります。
発音は、運動や楽器の演奏などに共通するところがあります。
筋肉を使うという面でも、頭でどれだけ正確に理解していてもトレーニングなしでは習得できないという面でも、コーチの存在と質が重要という面でも似ていると言えます。
最終的には、コーチ (教師) がついていなくても、学習者が一人で目標となる正確な発音ができるようになり、間違った発音をしてしまった時には自己修正することができるようになっていくことで発音矯正が達成されていきます。