パリを作った男

パリ暮らし
オスマニアン建築のアパルトマン

パリのアパルトマンは奥が深い……

By ドメストル美紀

パリと言えば、レリーフ美しい白灰石の外壁に青瓦の屋根、鋳鉄細工のバルコニーのアパルトマン。皆さんはこのアパルトマンの各階の天井の高さが異なっていることに気づかれていましたか? なぜかというと……

その男の名は ……

クイズに答える前に、まず、パリは一人の男性によって作られた、という話から始めましょう。

その男の名はオスマン男爵(Baron Haussmann)。なぜ「男、オトコ」と強調するのかというと、この方、肖像画を見る限り、「ザ・男」という印象の男顔、風体なのですよ。このようにエレガントなパリを作った人には到底見えないのです。……なんて、人を見かけで判断してはいけませんね。

さて、オスマン男爵。ナポレオン3世の命を受けて、パリ大改造計画を手掛けた立役者です。時は1850年代。当時のパリは、小さな路地が入り組み、上下水システムは崩壊気味、よって疫病も多く、それなのに都市の磁力より人が流入してくる、というカオスな状態でした。

任命を受けたオスマン男爵はブルドーザーのような勢いで大プロジェクトに取り掛かります。

まずはインフラ。それまでは東西南北で分断されていたパリを繋ぐ大通りを作ります。凱旋門から放射線状に広がる新しい道路も建設します。下水道を整備し直します。さらに、パリの各所に公園を作ります。今でもパリの住人の憩いの場となっているモンソー公園や、ビュットショーモン公園、ヴァンセーヌとブローニュの森もこのプロジェクト下で整備されたものです。市民の暮らしが見事に向上していきます。

オスマニアン建築のアパルトマン

……すみません、ジラしているつもりではないのですが、オスマン男爵、業績が多すぎて本題にたどり着けません。でもエンドレスな業績の残りはあとに回すとして、はい、アパルトマンに行きましょう。

冒頭の写真の素敵なアパルトマンは、男爵の名前を取り、「オスマニアン建築」と呼ばれています。オスマン男爵はパリの人口増加に対処すべく、大型の集合住宅を建設に着手したのです。

それまでは4階建て以下の建物が多かったのですが、それらを取り壊し、最大6階建てまでの建物に再建します。その際、道幅に比例させる形で建物の幅を決めます。先見の明というか美的感性がありますよね。パリの大通り沿いの外観が優雅なのはそれゆえでしょう。

各階の天井の高さが異なる理由も、街づくり計画がゆえ。たくさんの人が住むことになれば、当然お店が必要になります。カフェも必要になります。 それで、

・地上階(rez-de-chaussée)には商店が営業できるよう、天井を高めに作りました。

・中2階(premier étage)は天井が低いメザニン(entresol )となっています。下の商店の倉庫として、もしくは従業員用に設けられた空間だったからです。ちなみにアッパーミドルクラスが住む建物には、商店および中2階はなく、全戸住宅となっています。

・3階(deuxième étage)は、「高貴(noble)」な階。エレベーターがない時代ですから、よっこらしょ、と階段を昇らなくて済む3階は「ベスト階」だったのでしょう、建物の中で、間取りもよく装飾も凝らされています。パリのアパルトマンは中庭が設けられていますが、オスマニアン建築においては、中庭は3階の住人の馬や馬車を繋ぐ場所だったようです。

・4階と5階(troisième et quatrième étages)も住居として申し分ありませんが、3階と比べると簡素な装飾となっています。4階より5階はさらに簡素化されていきます。5階には鋳金細工によるバルコニーがありますが、これは住人のため、というよりは、外観の美しさを考えて設置されました。実際外に出られるようなバルコニーとはなっていないものがほとんどです。

・最上階(dernier étage)屋根裏部屋となっています。物置として使われるか、使用人の住居にされていました。今でも女中部屋という意味の、chambre de bonnneと呼ばれます。
……この屋根なのですが、マンサード屋根と呼ばれる、腰折れ屋根となっているのもオスマニアン建築の特徴です。これは、建物を高層化してしまうがために失われる路面の日照率をできるだけ保持すべく、このような腰折れ屋根を取り入れたそうです。細かいところまでよく考えられていますよね。

お分かりいただけましたでしょうか。オスマニアン建築のアパルトマンは各階天井の高さや装飾水準が異なる、その理由は、所属する社会的階層によって住む階が異なっていたから、というシビアなものでした。そういう時代があったのですね。

オスマン男爵の輝かしい業績と終焉

道路や集合住宅のほかにも、オスマン男爵の元に着工された建物はたくさん。オペラ座ガルニエを始め、北駅、東駅、リオン駅、複数のアロンディスモンの市庁舎、セーヌ川にかかる橋の幾つか、サンミシェルの噴水、古式ゆかしいキオスクや八角柱の広告塔など、今のパリを代表するものばかり。その上、どれをとっても、美観性高く、実用面でも優れていてChapeau ! 脱帽するばかり。

オスマン男爵の実行力に圧倒されてしまいますね。もちろん、彼一人で成し遂げたわけでなく、大ボスであるナポレオン3世が議会の信任が強かったこと、部下にも優秀な人がたくさんいたこともあってここまで進められた事業だったのでしょう。

ただ、最後は、ブルドーザーのような勢いで街を作り変えるオスマンに対して、「パリらしさを取り壊している」との批判も集まり、また、いつまでも街中が工事現場のような状態となっていることに対する不満の声も高まって、オスマンは退陣します。

そして、パリの未来は……

今、パリの街は来年のオリンピックに向け、それこそ街中が工事現場のようになっていて、
新しい建設物に対する不満の声も上がっています。果たして、今建てられているものが、未来のパリのレガシーとなり得るのか、それとも粗大ゴミとなるのか。

パリ市民は、工事現場となったグランパレを、シャンデマルスを、ドキドキしながら見つめています。

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